大阪家庭裁判所 昭和36年(家)2251号 審判 1963年10月29日
申立人 中野秋子(仮名)
相手方 中野啓一(仮名)
主文
一 相手方中野啓一は、別紙目録(一)(イ)の宅地について被相続人中野市郎に対し所有権移転登記をせよ。
二 申立人中野秋子、相手方中野啓一、同中野久治、同中野重郎及び同山田ハルコは、共同して、別紙目録(一)(二)の土地の地目山林を畑に、地積一反歩を一町二反七畝七歩三合三勺と更める地目の変更及び地積の更正登記をした上、この土地を別紙図面(A)(B)(C)(D)の四部分に分ち、(A)部分を同番地(羽曳野市駒ヶ谷○○○番地)の三地積二反三合八勺、(B)部分を同番地の四地積二反六畝五合、(C)部分を同番地の五地積一反九畝六合六勺に分割し、(D)部分を同番地の一地積六反二畝五歩七合九勺として存置する分離登記手続をせよ。
三 二により分離せられた羽曳野市駒ヶ谷○○○番地の三畑二反三合八勺を相手方中野重郎に、同番地の四畑二反六畝五合を相手方中野啓一に、同番地の五畑一反九畝六合六勺を相手方中野久治にそれぞれ分割する。
四 羽曳野市駒ヶ谷○○○番地の一畑六反二畝五歩七合九勺、別紙目録(1)(ニ)を除くその余の不動産及び別紙目録(ニ)の動産類を申立人中野秋子に分割する。
五 申立人中野秋子は、相手方中野啓一に対し金一一万三、八五三円、相手方中野久治に対し金八万三、八五三円、相手方中野重郎に対し金一万八、八五三円、相手方山田ハルコに対し金七四万八、八五三円の支払をせよ。(支払を遅滞するときは、年五分の遅延損害金を附加して支払うものとする。)
六 本件審判費用及び当庁昭和三六年(家イ)第二一七号遺産分割調停の費用合計一〇万〇、七六五円は、そのうち六万七、一七七円を申立人の負担とし、その余を四分した八、三九七円ずつを相手方ら各自の負担とする。
理由
第一調停申立の要旨
申立人は「被相続人中野市郎の遺産たる別紙物件目録(一)の物件及び下記申立の原因三記載の負債につき、適正な分割の合意を求める。」旨調停を申立て、その原因として(一)のとおり、事情として(二)のとおり主張した。
(一) 申立の原因
1、被相続人は、昭和三五年七月一二日に、その本籍地において死亡した。
2、申立人は被相続人の妻、相手方ハルコは姉、相手方啓一は兄、相手方久治及び相手方重郎は弟であつて、被相続人の共同相続人である。
3、被相続人は、その死亡当時別紙物件目録(一)の不動産を所有していたものであるが、申立外川井幾男(神戸市東灘区魚崎町○○○番地)に対し元金四三万〇、〇〇〇円の債務を負うていた。
4、申立人は、相手方らとの間で、上記遺産及び負債について分割の協議をしたが、円満な合意を得ることができないので、本申立に及ぶ。
(二) 事情
1、相手方らは、別紙物件目録(一)(イ)の宅地及び(一)(ロ)の建物-以下別紙物件目録の用語を略し、単に(一)(イ)のごとく称する-は、相手方啓一の所有物であつて、本件の遺産ではないと、主張するもののごとくであるけれども、この宅地及び建物は、被相続人及び相手方らの父中野治平の存命中、同人の決定により、これを被相続人の所有とし、これに代えて被相続人所有名義の羽曳野市駒ヶ谷○○○番地田一反一畝二〇歩(現況宅地)を相手方啓一の所有とすることに、被相続人と相手方啓一が承諾していたものである。
2、もともと、上記(一)(ロ)の建物は、中野家の母屋であつて、申立人が結婚した当時、これに治平夫婦及び相手方啓一夫婦が同居しており、申立人夫婦もここで世帯をもち同居したが、これよりさき、被相続人は、相手方啓一と共同してぶどう酒の醸造業を営んでいたもののところ、昭和一八年中に、両名が共同して上記○○○番地の地上に建物を新築し、このときぶどう酒醸造はもつぱら相手方啓一が単独で営業し、被相続人は、ぶどう栽培に専念することになり、相手方啓一は妻子とともに○○○番地の建物に転居し、申立人夫婦が(一)(ロ)の建物に残つて被相続人死亡当時に及んだものであつて、相手方唯一が○○○番地の新居に転居した当時、上記のごとく○○○番地の田(当時宅地)は相手方啓一の所有、(一)(イ)の宅地及び(一)(ロ)の建物は、被相続人の所有とすることに合意がなされたものである。
3、そうして、これが所有権移転の登記手続は兄弟の間柄のこととて相互に履行を要求しないままでいたが、被相続人存命中は、相手方啓一から一度もこのことについて異議がなかつたもので、遺産分割の協議に際しても、当初相手方らは一致して、(一)(イ)(ロ)の宅地及び建物が被相続人の所有に属していたことを確認していたが、その後に及んで、はじめて、相手方啓一がこの物件を自己の所有に属するもののごとく主張するにいたつたものである。
第二調停の結果
上記調停は、当庁昭和三六年(家イ)第二一七号事件として係属し、同年二月二四日以来同年四月二四日まで六回の期日を続行したが、結局合意が行われず、本件審判手続に移行したものである。
第三判断
一、申立書添附の筆頭者中野治平にかかる除籍謄本写及び筆頭者中野市郎にかかる戸籍謄本写によると、申立の原因1及び2の事実を認めることができ、本件の当事者は、被相続人中野市郎の共同相続人として申立人は三分の二、相手方らはおのおの一二分の一つずつの法定相続分を有するものである。
二、家庭裁判所調査官光信隆夫の調査の結果(昭和三八年二月五日附調査報告書)によると、(一)(ハ)ないし(ト)の土地が被相続人の遺産であることは、当事者間に争ないものであることを認めることができ、また申立人(第二回)、相手方久治(第三回)及び同重郎(第三回)に対する各審問の結果を総合すると、(二)の各動産類が被相続人の遺産であることを認めることができる。
三、そうして、証人花田重男及び同真田章の各証言、申立人(第一、二、三回)、相手方久治(第二、三回)及び同重郎(第三回)に対する各審問の結果、相手方啓一(第二、三回)に対する審問の結果の一部、羽曳野市駒ヶ谷○○○番地の田地にかかる登記簿謄本写、同所○○○番地の宅地にかかる登記籍謄本写、(一)(イ)、(一)(ハ)ないし(ト)の各不動産の登記籍謄本写、筆頭者中野治平にかかる戸籍謄本写、鑑定人小喜多六三郎作成の鑑定書添附の羽曳野市長塩野庄三郎作成の証明書(上記三四一番地の田地及び(一)(イ)の宅地にかかるもの)を総合して考えると
(イ) (一)(ロ)の建物は、中野家の代々の母家であつたもので、現在も未登記であるが、固定資産税関係の公簿上被相続人の亡父治平の所有名義となされておるもののところ、申立人が被相続人と婚姻した昭和一八年当時は、治平夫婦、相手方啓一夫婦が居住しており、申立人夫婦もこれに同居した。
(ロ) 被相続人は、昭和六年一〇月六日に、治平から羽曳野市駒ヶ谷○○○番地田一反一畝二〇歩、同所字浦田○○○番地宅地一六坪、(一)(ニ)(ホ)の各山林の贈与を受けて、当時これが所有権移転登記を行つたものであるが、これよりさき、相手方啓一は、昭和四年七月一六日に、治平から(一)(イ)の宅地の贈与を受けて、当時その所有権移転登記を行つた。
(ハ) しかるに、昭和一八年以前に、相手方啓一は、事実上治平の家督を相続し、家業を主宰しており、家族たる相続人らがこれを助けてぶどう栽培の農業のかたわら、ぶどう酒醸造を行つていたものであるが、昭和一八年中に、相手方啓一は、○○○番地地上に住宅兼工場を新築した。(もつとも、その造作は終戦後に完成した。)
(ニ) 昭和一九年三月一三日に、被相続人は、(一)(イ)の土地を本籍とする分家の届出を行ない、やがて終戦となり、相手方久治及び同重郎がそれぞれ軍隊から復員し、昭和二〇年一〇月二三日に相手方重郎が、同年一二月二一日に相手方久治がそれぞれ分家届を行つたが、昭和二一年秋頃までは、従前どおり、相手方啓一が中心となり、被相続人、相手方久治及び同重郎がこれを助けて、ぶどう栽培及びぶどう酒醸造を行い、家計を分けず名義上被相続人の所有地たる(一)(ニ)の土地(従前からぶどう畑として利用されていた)の収益も、すべて相手方啓一の主宰する家計の収入とされていた。
(ホ) しかるに、昭和二一年秋になつて、治平は、本家と各分家との財産分けを行うこととし、相手方啓一、被相続人、相手方久治及び同重郎と協議して、本家たる相手方啓一は、○○○番地の新築建物でぶどう酒醸造を主業とすることとし、ぶどう栽培の農地約七反を残し、他の農地は各分家に分与することとし、相手方久治には、従前ぶどう酒醸造の工場として使用していた建物を改造して、相手方重郎には、治平夫婦の隠居所として使用していた建物を、それぞれ住宅として分与した。
(ヘ) そうして、治平は昭和二二年三月一六日に隠居し相手方啓一が正式に家督相続届を行い、その後被相続人が分与せられていた小作地たる農地は、これを相手方啓一に譲渡し、相手方久治及び同重郎から当初同人らに分与せられていた(一)(ヘ)(ト)の農地の譲渡を受けて分与の割替を行つたものであるが、被相続人、相手方久治及び同重郎とも分与を受けた地目農地の土地(割替の結果確定したもの)については、自作農創設特別措置法の規定により、治平が政府に売渡し、政府から売渡しを受ける形式方法によつて登記手続を行つた。
(ト) かようにして、財産分けが行われ、被相続人は、昭和二一年度中頃から(一)(イ)(ロ)の宅地及び建物について、相手方啓一は、○○○番地の田地(現況宅地)についてそれぞれ固定資産税を納付して来たものであるが、上記(ロ)の○○○番地宅地一六坪は、相手方久治の住宅の敷地となつており、この土地については、同相手が固定資産税を納付しており、当事者は、いずれも、この宅地が本件の遺産であるとは考えていない。
(チ) 被相続人の死亡後、はじめて本件遺産分割が当事者間で協議せられた当時、相手方啓一は、(一)(イ)(ロ)の宅地及び建物が遺産の一部であることを明確に認めていたもので、相手方久治は、現在もこの宅地建物が遺産の一部であることを認めている。
などの事実を認めることができるもののところ、これら事実を総合して考えると、昭和二一年秋、治平が各分家に対する財産分けをしたとき、(一)(ロ)の建物は、治平から被相続人に贈与し、(一)(イ)の宅地と、○○○番地の土地は、被相続人と相手方との間で相互に交換し、○○○番地の宅地は、被相続人から相手方久治に贈与することの合意が明示、もしくは黙示のうちになされたものと認定するを相当とし、以上認定事実に反する趣旨の証人松本光男の証言及び相手方啓一の供述部分は、措信し難い。
四、したがつて、被相続人の遺産は、別紙物件目録(一)の不動産及び同(二)の動産類であるもののところ、上記のとおり、(一)(ロ)の建物は、現在申立人が居住しており、申立人(第二回)に対する審問の結果によると、(二)の動産類は(一)(ロ)の建物に現在し、申立人が使用しており、家庭裁判所調査官光信隆夫の調査の結果(昭和三八年二月五日附調査報告書)によると、(一)(ハ)ないし(ト)の各土地はいずれも農地として利用せられているものであつて、そのうち(ホ)は、第三者に賃貸中であるが、その余の各土地は、現在申立人が本件で選任せられた管理人として管理しており、鑑定人藪内幸太郎の鑑定の結果によると、(ニ)の土地は実面積が一町二反七畝七歩三合三勺、(ホ)の土地は実面積が二反六畝一二歩五合四勺あるものであるなどのことを認めることができる。
五、ところで、申立人は、その審問における供述として、(一)(ニ)の土地は、本来上記認定の面積よりも約一反歩広かつたもので、被相続人が、昭和二三年中に、その部分を相手方啓一に贈与した旨主張するけれども、この供述は、相手方啓一(第三回)同久治(第三回)及び同重郎(第三回)に対する各審問の結果に対比して、直ちに措信し難いので、その事実はなかつたものとなすべく、その他に当事者いずれも、被相続人から特別利益を受けた旨の主張及び証拠はない。
六、次に、申立人は、被相続人は、申立外川井幾男に対し元金四三万〇、〇〇〇円の債務を負担していた旨主張し、申立人(第三回)に対する審問の結果、その事実は肯認できないこともないが、一般に、債務は、共同相続人間に当然分割されると解すべきであるから、本件分割の対象としない。
七、そうして、鑑定人小喜多六三郎の鑑定(第一回不動産、第二回動産類)の結果によると、(一)(イ)(ロ)の宅地及び建物の時価は計三〇四万五、〇〇〇円、(二)(イ)ないし(ナ)の動産類の時価は計一万五、二三〇円であること、相手方久治(第三回)及び同重郎(第三回)に対する各審問の結果を総合すると、(二)(ラ)のテーラー耕耘機の相続開始当時の時価は五万〇、〇〇〇円であつたものであること、鑑定人宮本態太郎及び同塩野浅治郎の共同鑑定の結果によると、(一)(ハ)(ホ)(ヘ)(ト)の農地の時価は計一三六万六、〇〇〇円、(一)(ニ)の土地の時価は水槽二基及び納屋一棟を加えて四五一万〇、〇〇〇円であることをそれぞれ認めることができ、テーラー耕耘機は、上記のとおり申立人が使用中のものであるが、後記のごとく、これを申立人に分割するとして、その相続開始当時の価格は、そのまま維持されているものと考えて大差はないから、本件遺産の価額は、以上合計八九八万六、二三〇円であると認めるべきである。
八、そこで、この遺産の価額を当事者の法定相続分に割当てると、申立人は五九九万〇、八二〇円、相手方らはおのおの七四万八、八五三円(五〇銭切上)となるものであるが、検証の結果によると、相手方啓一、同久治及び同重郎は、いずれも別紙図面(一)(ニ)の土地の順次(B)(C)(A)の部分に隣接してぶどう畑を所有しておるので、同相手方三名に対しては、この土地の一部を分割し、その余の各物件は申立人に分割し、相手方ハルコに対しては、申立人をして上記相続分の価額の金員を支払わしめるを相当とするもののところ、この土地分割については、相続分の価額に丁度見合う地積を算出することは事実上困難であるので、相手方啓一については別紙図面(B)の部分二反六畝(水槽一基を含む)を、相手方久治については同(C)の部分一反九畝を、相手方重郎については同(A)の部分二反歩(水槽一基及び納屋一棟を含む)を目標として鑑定人藪内幸太郎をして分割の図面を作製せしめたところ、その結果は、別紙図面のとおりとなり、若干の誤差を生じる結果となつた。
九、そうして、鑑定人宮本熊太郎及び同塩野浅治郎の共同鑑定の結果によると、上記(A)部分は七三万〇、〇〇〇円、(B)部分は六三万五、〇〇〇円、(C)部分は六六万五、〇〇〇円であると認めることができる。分割が目標と誤差を生じたので鑑定の結果と正確には一致しないが、最も誤差の多い相手方久治の場合においても、約八〇〇円の差であるから、この際この差額は無視するので、相続分の価額とこれら分割土地の価額との差額、相手方啓一について一一万三、八五三円、相手方久治についても八万三、八五三円、相手方重郎について一万八、八五三円は、これを申立人をして、同相手方らに対し金員を支払わしめて、清算すべきものである。
一〇、以上分割を登記簿に登記するについては、(一)(イ)の宅地について、相手方啓一をして被相続人に対する所有権移転登記を行わしめ(この場合、この移転登記を申立人が請求する行為は、債務者たる相手方啓一を除く他の共同相続人との関係において保存行為と解することができるから、この審判により、相手方啓一が任意の登記を行わないとき、他の相手方らが共同申請人とならないとしても、申立人が単独で申請人となり得るものと解することができる。)、また(一)(ニ)の土地について、当事者共同して地目変更及び地積更正の登記手続並びに分割地の分筆登記を行わしめるを要する(この場合、これら登記を行うことは、相手方らの申立人に対する債務履行であるから、この審判により、申立人が単独で申請し得べきことは多言を要しない。)ので、主文一及び二においてこれが履行を命じ、上記分割の結果を整理して主文三ないし五のとおり、本件手続費用(調停を含む)の負担を主文六のとおりそれぞれ定め、もつて審判する。
(家事審判官 水地巖)
別紙
物件目録(1)(不動産)
(イ) 羽曳野市駒ヶ谷○○○番 地宅地一三九坪
(ロ) (イ)地上所在
(家屋番号第五四号)
木造瓦ぶき二階建居宅一棟 建坪四一坪二合二階坪三坪
(附属建物)
木造瓦ぶき二階建居宅一棟 建坪一五坪二合六勺九坪四合六勺
木造瓦ぶき平屋建倉庫一棟 建坪一一坪
木造瓦ぶき平屋建物置一棟 建坪六坪四合
木造瓦ぶき平屋建物置一棟 建坪四坪五合
(ハ) 羽曳野市駒ヶ谷○○○番地 畑三畝一九歩
(ニ) 羽曳野市駒ヶ谷○○○番地の一 山林一反歩
(ホ) 羽曳野市駒ヶ谷○○○番地の二 山林八畝歩
(ハ) 羽曳野市飛鳥○○○番地 田七畝一歩外畦畔一七歩
(ト) 羽曳野市飛鳥○○○番地 田八畝二三歩外畦畔九歩
物件目録(2)(動産類)
(イ) 長持 一箇 (ロ) 三ツ重ね桐だんす 一棹
(ハ) 座敷机(角・丸)各 一箇 (ニ) 置時計 一箇
(ホ) せんとく火鉢 一対 (ヘ) 座布団 二〇枚
(ト) 小角火鉢 一箇 (チ) たばこ盆 三箇
(リ) 夜食膳 一人前 (ス) 小鉢・三ツ鉢 一箱
(ル) 額・掛軸 各一箇 (ヲ) 水屋(洋・和式) 各一箇
(ワ) 火鉢(土) 二箇 (カ) 洋服だんす 一棹
(ヨ) 写真機 一箇 (タ) 敷物(だんつう) 一枚
(レ) 電気掃除機 一箇 (ソ) 床置(花瓶様) 一箇
(ツ) 机(デコラ製) 一箇 (ネ) 椅子(デコラ製) 一脚
(ナ) 柱時計 一箇 (ラ) ラーラー耕耘機 一台
(別紙図面省略)